エクスプレッシブライティング

これはエクスプレッシブライティングです。

ダンス

暑い陽射しを太陽に跳ね返しながら、山道を走る銀色の車に私は乗っていた。愛媛から福岡まで帰る道中、今治市に入る前の大きな湖なのかダムなのか、とにかく緑と水が豊富な美しい山道だった。

その景色に心を奪われていた私の視界に蛍光イエローの旗を持った作業員が飛び込んできた。

日に焼けて赤黒くなった顔の口角があがり、"徐行"と黒い字で書かれた旗を両手で上下に持って小刻みに揺らしている。

最初、彼を見た時に憐れみにもにた感情が私を襲った。こんな暑い真夏の山道でたった一人車道に立ち、いつ来るかも分からない車の為に旗を振るなんて、私だったら耐えられない。そう感じたのだ。その口角の上がった彼を過ぎた後、500メートルほど進むと交互通行をするべき場所があり、そのまた500メートルほど先には先ほどの彼と同じように旗を持って一人立っている男性がいた。その男性は肩を落とし無表情で旗も振らず、絶望を体現した様をしていた。その男性をサイドミラー越しに見ながら、私はさっきの彼に対して抱いた感情が間違いだったのではないかと考えを改めた。

彼はきっと楽しんで旗を振っていたのだろう。真夏の美しい山道の中でダンスをするように。

人生

生きるとは削っていくこと

 

そんな言葉をどこかで聞いて、すっと胸の奥深くにその言葉は着地してどれくらいがたっただろう。

 

あたりまえのように身の回りに溢れる、欲望を満たしてくれる様々なモノたち。テクノロジーは加速度を増してそれを担うために姿を変えていく。どこにいても、情報は遮ることのできない津波のように私を覆い、本当は何が欲しかったのかわからなくなるほど、跡形もなくつれ去っていく。

 

絵画と彫刻の大きな違いは

足していくことと引いていくことだ

始まりがそもそも違うといってもいい

私は絵描きでも彫刻家でもないから、根本から間違っているのかもしれないが、付け足していくことよりも削っていくことの方がスリリングで致命的なミスは後戻りが効かないのではないかと思う。

 

生まれてから、死ぬまでの間

私たちは何を削っていってるのか

死んでしまえばあの世に何も持っていくことはできない

あの世というものがなくてもそれは同じだ

いつ何を削って生きていくのか

最後はどんな形になっているのか

それを思い描くと

違った生き方が見えてくる